雑記

高専での4年間と高専祭

皆さん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

最近はやっとこのサイトも軌道に乗り始め、少しずつ記事を出していけるようになったのですが、今日は少し技術のノウハウについての話を置いておき、私の高専人生について振り返ってみようと思います。

私は高専に来る前にも、数々の困難に遭遇してきました。それはこのブログの1ページでは到底語れるようなものではありません。

高専での生活は、その時間軸の幅として私の一部を構成し、創作活動に花を咲かせ、人生の転換点となりました。

今日は、そんな私がこの4年間高専でどのような経験をし、高専祭とどのようにしてかかわってきたかお話ししようと思います。

幕開け

期待と自信

初めて見る高専は、ただただ広かった。私は受験の時に見たこの光景を、再び目にした。受験という小さな目標を達成し、期待と自信に満ち溢れていたこのころは、まだ幼すぎたといえよう。

高専というのは、主に工学分野にて5年制のカリキュラムで徹底して学習できる。高校には入らない、大学と高校の間のような学校である。

学科は電気工学科だった。他にも電子制御は情報など、魅力的な学科はあったのだが、やはり電気工学が好きだった。

小学校のころより稽古していた柔道をやるため、私は柔道部へ入部した。電子工作は趣味でやる程度であり、担任の教員とその話をよくすることがあった。しかしこの頃の私は、柔道と勉強以外に興味はなかった。

屈辱

高専生活も慣れ、まだ知らないことは山ほどあったが高専で初の夏を迎える。柔道部は大会を前に、より一層稽古に励むようになる。

当時の奈良高専柔道部には、同期はおろか、2つ上の先輩しかおらず、時に一人で練習することも少なくはなかった。一人で馬鹿みたいに壁に打ち込んでいると、隣で稽古をしている剣道部顧問に気に入られるくらいだ。

高専には高専大会という各高専でのみ戦う大会がある。団体戦と個人戦それぞれに出場したのだが、団体戦での1勝くらいで、特に結果は残せなかった。

努力しても結果が残らない屈辱を、身に染みて感じた。また来年と、その気持ちを再び稽古にぶつけ、夏も深まっていった…

出会い

一方学事の面では、そこまでひどい何かがあったわけでもない。苦手なのは課題をやることだったが、このころは目立って課題を提出していなかったわけでもないし、テストでも点数をしっかりとっていた。

柔道の大会が終わり余裕ができると、ある出会いが訪れる。夏休み、ある友人をボランティアに誘ったのだが、ちょうどその彼らが入っていた電気技術研究会(以下:電研)という同好会に興味を持つようになったのだ。

趣味としていた電子工作ができるかもしれないというワクワクと、兼部することによる不安の葛藤にさいなまれた結果、入部することを決心した。

その同好会は、電気の展示品を作成し、高専祭の電気科展に出展しているところである。高専祭は高専における文化祭のようなものだ。

私はこの同好会で、早速電光掲示板をマイコンで作る展示品の作成を担当することになる。

第52回奈良高専祭

KosenFes
電光掲示板

夏を柔道と展示品の作成とに費やした。時に電研でバグに阻まれ、時に柔道で怪我をし、決して代え難い青春を生きた。電研では頭を使い、独学で技術を高め、柔道では体を使い、一人での稽古で心身ともに鍛錬した。

2部を行き来し、その後図書館で夜遅くまで勉強をし、道場にまで行く生活を繰り返していくと、この生活は私の創作意欲を最大限まで高め、柔道も上達していくようになる。

秋の気配も深まると、電光掲示板も完成し、初めての高専祭を迎える。先輩の作ったコイルガンや、VVVFなどのすごい展示品に目を輝かせて、いつか自分もすごいモノづくりを出来るようになりたいと強く思った。

自分の展示品は隅に飾られる程度ではあったが、お越しいただいた方々に褒められるこの楽しさを初めて知った。

さらなる高みへ

高専祭を成功させた私は怖いものを知らず、自分の独学の才能を思うがままに解放させた。次へ次へと学習をしていき、特にこの冬、私は論理回路の独学を完遂させた。更なる展示品の製作ために…

当時倉庫に眠り、壊れていたリレー電卓という展示品を再びよみがえらせるため、柔道の稽古の合間を見つけては実験室に足を運んだ。これを修理することが、この時最大の目標だったからだ。

そしてこのリレーとの出会いは、もっと大きな舞台へと私を突き動かしていくこととなる。

変貌

胸騒ぎ

高専もはや2年目へと突入する。長い春休みが来ると、私は先のリレーという部品のスイッチング音を利用した、楽器作成を始める。初めての企画だった。心地よかったが、しかしなんだか胸騒ぎのする春だった。

春休みも終わると、後輩が出来た。電研には誰も入ってはくれなかったが、柔道に後輩が出来たのだ。先輩と共に練習の頻度は多くなり、電研にはなかなか顔が出せない日々が続いていくようになる。

この頃から私の両立していた生活が崩壊し始めたのだった。しかしそれはまだ予兆に過ぎなかった。

全盛期

春の終わり、私たち柔道のチームは昨年同様より稽古に打ち込むようになる。夏の大会に向け練習が厳しくなっていったのだ。

柔道夏の大会では、昨年から大きく力を伸ばしたおかげで奈良高専史上では、何十年ぶりかの功績を残した。近畿地区高専大会で準優勝したのだ。

しかし近大高専の柔道部に完敗し、全国は逃した。また、個人戦でも活躍できなかったのは、非常に悔しく感じた。

大会が終わると、夏が来た。柔道部では、この夏より部長をすることになり、また電研では練習に力を入れたせいで残った展示品のタスクに追われるようになる。夏休みはほぼ休みなく毎日部活をした。

そんな中、ペットボトルロケットにマイコンを詰むコンテストも受けることとなり、仕事量は半端なく増えた。

夏の課題にも追われ、徹夜を繰り返し、生活リズムも元に戻ることはないまま、後期に入っていくようになる。

第53回奈良高専祭

Music Relay

苦渋のタスクを柔軟にこなし、高専祭前日まで徹夜してその展示品2つを完成させ、2回目の高専祭を迎えた。まさに苦い全盛期を代表する高専祭だった。

評価は多少なりともあったろうが、展示の際徹夜の疲れから裏で一日中寝ていた。自分の展示品を、自分で展示していなかったのだ。

疲労をとることは出来ず、また先輩が引退することによって急に課された大量のタスク。水ロケットのコンテストは自主的に欠席し、学校に行く回数も極端に減少した。

欠課時数がギリギリになり、もう自分がどうすればいいか分からなくなった。留年を決意したのだ。コンテストは部活の仲間に任せっきりになり、多くの人に迷惑をかけた。

それまで保っていたバランスが崩れてしまったのだ。

かすかな希望

留年は、私に期待していた周りからは受け入れられるものではなかった。というのも、成績についてもそこまで悪くなかったためである。

しかし不運にもタスクから逃れることは出来ず、全部辞めて大学に行くことも考えた。

しかしここまで部活を大きくして、期待を膨らませてきたのにもかかわらず、それをすることがどれだけ無責任なことか、私は十分理解していた。

私は逃げてはいけないと感じながら、部活を最低限持たせ、学校を休んでは少しずつ新しいことに手を出していった。このウェブサイト作成へのきっかけも、実はこの時だった。

この年の冬は、特に寒い冬だった。

迷走

空虚

ウェブサイト構築の勉強を初め、徐々に自分に空いた空白を埋めるように冬を生き抜いた後、留年して初めて春を迎えた。2つの部に、後輩は誰も入ってこなかった。

そしてこの冬からはやり始めた新型コロナウイルスの影響で、満足に部活ができる状況になかった。

学校はオンラインになり、留年によって空いた穴が再び大きくなるのを感じた。普通に授業には参加せずゲームにうつつを抜かし、自分を見失っていた。

柔道の大会もなくなり、目標は潰えた。あるかもわからない高専祭への対策もしないまま、留年生の抜け殻として日々を過ごした。夏が終わるまでは…

再起動

夏休みが終わりに近づくと、だんだんと正気を取り戻していくようになる。オンラインでの高専祭が決定した時、抜け殻だった私は、再び立ち上がることができた。

当時の電研では、もともといた先輩方が卒業しており、部長は私ではなかったが、自ら電研の中で展示の代表を担当する役職を作り、3度目の電気科展を指導する役職を作り上げた。

そこで手腕を発揮する。夏休みが終わろうとしており、またコロナ対策という名目で非常に活動の幅が制限された。

電研の人数もそこまでいない。しかし、私は遅すぎたが企画を2つ提案。自動で絵を描くマシンと、昨年度のリレーを使用した楽器、MusicRelayの改良企画を、残されたわずかな時間で開始した。

第54回奈良高専祭

drawingmachine
お絵描きマシン

秋が来て、初めてのオンライン高専祭が幕を開ける。最終的には独自特設ウェブサイトまで一気に完成させ、少しの遅れをとることもなく、この高専祭を迎えることができた。

お絵描きマシンではそれまで回路に触ったことのない人たちに指導する形で完成させた。またMusicRelayは軽音楽部と合同で演奏し、ヒトとモノが同時に演奏する、非常に面白い企画として出すことに成功した。

また過去展示品を最大限活用し、前年修理したリレー電卓や電光掲示板など、多くの展示品を、それも独自の特設サイトで展示した。

この時のウェブサイト開設のノウハウは、まぎれもなく留年時に身に付けたものであった。この高専祭は大成功し、挫折して留年し、ぽっかり穴の開いた私を、再び表舞台へと突きあがらせた。

決心

3回目の冬。この時の私がそれまでと決定的に違うのは、ノウハウを多くの人に公開しようと働きかけていったことである。

このウェブサイトはそうした経緯で、この時に誕生する。高専祭で作ったウェブサイトを根本的に見直し、いろいろな情報の公開のために作られたのだ。

LT会にも参加するようになり、最初のTalkCafeの登壇では、独学の話をし、誰かのきっかけを作れるよう話した。様々な有志活動に加わり、いろいろな世界を見ようと試みた。

逆にそう言ったアプローチを電研に活かした。展示品製作を根本から見直し、それだけでなく多くのものを残そうと試みた。

また、柔道部では新しい後継者を立て、静かに去った。今までの生活はすべて捨てきり、新しい自分をリライトしていくのだった…

リライト

4度目の春。すがすがしい春であった。

様々な経験を経て、電研の部長に新しく就くことができた。決めた目標に向かって突き進み、今では形成したコミュニティを介して様々な活動をしている。

新しく入った電研の後輩を育て上げ、電研を盛り上げ、大きなものを残していく…コミュニティでもいろんな人材を育成し、また登壇を介して誰かのきっかけを作る。

このスタイルに落ち着くまでに数々の困難を乗り越えた。そしてこれからも私を待つ多くの荒波に、決して負けることなく突き進んでいくだろう。初めて見た高専が、ただただ広すぎる世界だったように。

さいごに

いかがだったでしょうか。少し長々と自分語りをしてしましましたが、今日はそんな回だと割り振ってご容赦ください!

4回の高専祭と私の高専人生を経て、このブログも今こうして皆さんに情報を発信することができたのです。

今まで関わってくれた皆様、そしてこれから関わるであろうあなた達みんなに感謝の言葉を贈ります。
ありがとう、そしてこれからもよろしく

それではまた!GoodBye!!

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